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イヤープレート

2年前の秋、私の両親が金婚式を迎えました。人生50年どころか、結婚50年を無事に過ごすことができるなんて、ほんとうに有り難いことです。

お祝いは何にしようかとずっと考えていたのですが、兄夫婦が記念にその年のイヤープレートを贈ったのを知ってひらめきましたflair

結婚した年のイヤープレートを贈ることにしたのです。二枚のプレートが並んで飾られているのを想像し、これはいいものを思いついたとひとりほくそえみました(もとはといえば、兄たちのおかげですけどね)。

Photo古い年代のものだから見つかるだろうか、高くはないだろうかという心配をよそに、イヤープレートは思ったよりも簡単に、そして丁度手ごろな予算で手に入れることができ、私のお祝い作戦は無事終了。その当時の絵柄は聖書を題材にしたものが多く、クリスチャンである両親には図らずもまさにうってつけの一品になりました。実家のピアノの上には、今もその2枚が飾ってあります。(1957年 13000円)

さて、そんなことも忘れかけていたこの頃、「揃える」というタイトルでブログを書いていて私の中の「揃えたい」衝動がまた再燃しました。実は結婚をした年からしばらくの間、母がクリスマスになるとウェッジウッドのイヤープレートを贈ってくれていたのです。ピーターラビットの絵柄のお皿は10枚と少したまったところでそのシリーズが終了になり、大切に使っていたのですが、残念なことに2枚ほど割ってしまい年号が飛び飛びになってしまいました。10枚そこそこあるのだから、もう十分なのですが、なんとなく年代が飛んでいると気になって仕方ありません。機会があるごとにネットオークションなどで探してみますものの、どういうわけか、割った年のものに限って高値がついていたり、完全に入手不能だったり。これは縁がなさそうだとあきらめていたのです。

今回再燃した「揃えたい」ブームで思いついたのは、別のシリーズで、別の揃え方をするということです。なくした年は子どもの誕生した年でもあったので、いっそ家族全員の誕生年のイヤープレートを揃えてみよう。お値段のほうは前回の経験で大体つかめているからこれはうまくいくかも。なかなかグッドアイデアでしょう?

夫、私、息子・・と探してみると、どれもまあまあのお手ごろ値段で出ています。よしよし。ところが、

Photo_2 娘の誕生した年のイヤープレートだけが、なぜか

 41000円!!!

はい??

娘は阪神淡路大震災の年に生まれました。退院してきた翌朝のことでした。それがイヤープレートのプレミアに関係しているのだろうかとぼんやりと考えています。だとしたら、そこにはどんな思いが織り込まれているのでしょう。

人にはそれぞれの記念の年があると思います。だれかにとって喜びの年が誰かにとっては深い悲しみの年にもなるでしょう。イヤープレートを買い求める人たちの中のさまざまな思いを考えているうちに、自分の思いつきが少しバカバカしくなりました。私にとっての大切なイヤープレートはまだもう少し先のほうがいいような気がします。

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旅に出る理由

春休みを利用して、3泊4日の京都旅行をしてきた。

久しぶりの遠出の旅行に京都を選んだのは娘の希望だったが、まわりからは「また行くの?」と呆れられた。確かにここ3年は毎年春休みになると訪れている。ただ、私にとっては目的地がどこかということよりも、1年に最低1回くらいは遠出の旅行をしないとまたできなくなってしまいそうで不安なのである。事実、娘と二人だけの旅行は1年ぶりだったので、今回は行く前から少しばかりナーバスになっていた。ガイドブックを見ながら楽しい計画を立てようにも、頭の中の整理がまるでつかない。最終的には「とにかく京都にたどり着きさえすれば御の字と思うしかない」という心境で家を出た。

それなのに、着いたら着いたで、娘がそばにいてくれて心強いと思う反面、足を引っ張ってはいけないという思いが自分にプレッシャーをかけてしまう。ホテルでゴロゴロするわけにもいかない。せっかく来たのだから楽しかったなと思って欲しいなどど、ついついサービス精神が頭をもたげて、あっちもこっちも案内したくなる。

もう少し、自分のペースで歩くことを始めてみたら?と心の中では自分に問い掛けてみるのだけれど、だめみたいbearing 

そんな中、一箇所だけ自分が自分のためだけに(!)行ってみたい場所を見つけた。京都マンガミュージアムである。ひょっとしたら、昔読んだなつかしのマンガに出合えるかもという期待で訪れてみると、たしかに、かなりの蔵書。暖かい日だったので、中庭では気持ちよさそうにごろ寝をしながら読みふけっている人もいる。これはいいかも、と思ったのだが、残念ながらものの30分ほどでリタイアすることになった。娘がマンガ好きではなかったのだ(我ながら誤算だった・・)

次回はしっかり教育してからsign02来ることにしよう!

楽しみを作っておけば、次の旅行への一歩が踏み出しやすくなるかもしれない。今回は結局安定剤に支えられて乗り切ったけれど、この余韻が続くうちに旅行を続けていくことで、自分の中の「大丈夫」を増やしていけたらと思う。

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揃う

粗忽ものな方だと思う。たとえば、5枚一組のお皿など一つとして揃っているものがない。グラスもいいものは次々に割ってしまい、残るのは丈夫なカフェグラスだけ。割れた時にはガックリ来るのだが、あまり後を引きずらない。「形あるものは滅す」である。

ところが、なぜか時々「揃っている」ことに執着することがある。この間も、残り物を留めるクリップが6個あるはずなのにどこに使ったのか1個の所在がわからず気になって何日も探し回った。あった。乾物をしまっておく引き出しに入っていた。頭の隅とはいえ、このクリップ1個のために神経を使っている自分が自分で滑稽なのだが、見つけたときの嬉しさといったら、まるで宝さがしの気分である。

景品でもらったお皿。大抵は一枚である。ところが、バザーとかフリーマーケットで同じ皿を見つけて「揃えられる!」とわかった時、そもそも景品なのだからタダ同然のものをお金を出して買うというのはどうなの?などと考えながらも、その誘惑に打ち勝つのはかなり難しい。どうせそのうち割ってしまうんだろうけれどさ。

こんなことを考えていたら、まだ子どもが小さかった頃積み木の一つがなくなってひどくがっかりしたことを思い出した。2歳くらいだった息子がその積み木を見るたびに「ないねぇ」って言っていたから、たぶん私がしまうたびに「ないねぇ」と残念そうに言っていたに違いない。積み木だけではない。パズルとか、ブロックとか、おもちゃは大抵半端になる。ところが積み木だけはなんとなく揃っていないと寂しかったのだ。あれも、私の「揃っている」魂を刺激したものだったんだろうな。

変な習癖だと思うが、そういえば私よりもつわものがいたっけ。同じアパートに住んでいたIさん。「積み木はなくされると嫌だから遊ばせないようにしまっているの」というのを聞いて、そこまでしなくともと思わず絶句したのも、なつかしい。

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